50代 女性
自営業ということもあり、日々の生活に追われているうちに、教会から次第に遠ざかりご無沙汰が数年続いていました。
日頃から体調不良を感じていましたが、浄霊を受ける気にもなれず....。
昨年十二月には首や肩のコリが酷く、仕事中机に向かっているのさえ苦痛になり、会社も休むようになりました。少し敷居が高かったのですが、思いきって教会に行き浄霊を受けるようになりました。
「春頃になったら仕事を探そう」くらいに思っていたのですが、ますます症状が重くなり二~三月頃からだんだん眠れない夜が多くなりました。
首周りの凝り性に加え仕事の仕事のストレスや、更年期が拍車をかけたのでしょうか「眠れない、食べれない」という日々がはじまりました。
午前中は教会で浄霊を受け、午後は寝たり起きたりの生活で不安だけがどんどん膨らんでいきました。
精神状態が不安定となり、理性と感情の戦いのようなもので「これをしよう、あれもやろう」と思っても身体がついていきません。少しでも考えたり不安を感じるとすぐ胸が苦しくなり、倦怠感や動悸で何かに押し潰されそうになりました。
また耳が敏感となり電話の音、人の声、川のせせらぎでさえすべての雑音が神経に障り、目は焦点が合い難くテレビが見ていられず本も読めません。普通に生活している感覚とは無縁となり、自分で自分の身体をコントロールできない歯がゆさに「どうやってこの苦しみから抜け出そうか」とそんな思いが毎日頭の中を巡っておりました。
考えようと思うことが考えられないで、とんでもないことが思い浮かんだり考えたりする。
いつもでしたら私は薬に頼るしかありません。でも不思議なことに迷うことなく、浄霊一本で行くと心に決めていました。
主人が家事を一切こなし、またいつまでもこの心の葛藤が続くのかと手探りのような毎日に挫けそうになりながら、教会の先生や多くの方々に浄霊と励ましの言葉を頂き、なんとか自分を支えてくることができました。
健康な時は当たり前に感じていたことも、この頃は一日一日“生かされている“ことを実感していたように思います。
そんな日々を積み重ね二ヶ月半くらい過ぎた頃でしょうか、少しずつ気持ちや身体に変化を感じ、一日一日薄紙を剥ぐように身体の調子が回復していくことに感謝が沸いてきました。
しかしまだ充分に動くことも出来ない最中の六月中旬に、私のことを心配してくれていました父が脳疾患で倒れ危篤が続いていました。そして私の回復を待ってくれたのように十一月三十日に他界しました。無事に喪主として送ることが出来たのです。
その他にも、治療中に子供の事や周囲のことでも色々と悩みがあったのですが、すべて最善の方法でおさまり、とても偶然とは考えられない力が働いたように感じます。
これからも生かされている自分を意識しながら励んでいきたいと思います。
(50代 女性)